1970年代を過ぎて,家族は第一の存在ではなくなり,その代わりは,街やサブカルやオタクや,さまざまなものがあがってきた。そして,ネットワークは,いま,もっとも大きな代わりとして存在しており,このまま定着しそうな勢いを感じる。
quote:キム・コマンド氏のコラム。私立探偵を雇うのが,離婚のための証拠固めをする唯一の方法ではない。あるケースでは,妻は夫のパソコンにキーロガーをインストールした。しかし,フロリダの裁判所は3月,その行為は法律に違反するため,証拠として認められないと裁決を下した。離婚の訴訟においてパソコンで証拠集めをすることは,泥沼の様相を呈するが,ほかの裁判では認められたこともある。どんな通信にもパソコンを安易に使用しないように,パスワードはできる限りしょっちゅう変えて,メールを送るときは警戒を,チャットや掲示版の使用はできれば避けた方がよい。
もし浮気なんかをするようなら,パソコン内にその証拠が残らないように,削除したつもりでも,それらは取り出される可能性が残っている,と強く述べられている。家族でパソコンを共有するようなら,それなりに準備が必要だ,ということだろう。一般的には,家族内でそんな警戒をするなんて…と非難されることもありそうだが,でも実際,離婚を考えている夫婦にとっては,夫・妻が誰とメールしているか,掲示版でどんな書き込みをしているかをチェックするのは当然,のことなのかもしれない。と思う。
もともと,家族と云うものが存在価値をなくし,もしかしたらその代わりのようにネットワークが存在するわたしたちにとって,パソコンの共有と云うのはある意味考えられない状況かもしれない。生きる上で必要なのは,家族でもなければ国家でもない,政治的立場でもなければ個人的趣向でもない,_ネットワーク上でどんな行動をするか_であり,そのための行動の基礎(設定ファイルやデータファイルなどになっている)は,共有したりできるものではない。そこにはすべてが詰まっているのであり,提示・共有できるものではない。…そして,そこからは,新しい家族のカタチを考えるべき時に差し掛かっていることが示されているのを感じる。年寄りは難癖をつけるかもしれないが,わたしはそれを考えたいと思う。
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